เข้าสู่ระบบ「ええ。家同士の付き合いがあるから、小さいころから知っているの」
九条先輩は、歩く速さを変えずに答えた。 東側の廊下へ曲がると、開いた窓から風が入り、彼女の持つ紙の端がめくれた。先輩はそれを指で押さえながら、私の抱えている筒へ目を向ける。「昔の鞄の話なんて、急にしたから気になった?」「はい。よく覚えてるんだなと思って」「持ち物を長く使う人だから、覚える機会が多いのよ。買い替えても似たものを選ぶし。本人は違いがあると言うけれど、私には内側のポケットが一つ増えたくらいにしか見えなかったりして」 話しながら、九条先輩は少し笑った。 自慢するような調子ではなかった。よく知っている相手について、聞かれたから答えただけの声だった。 それなのに私は、その話の中にいる、小さな鞄を持った怜央さんを想像しようとしていた。今の彼の顔を幼くしてみても、うまくいかない。九条先輩には、想像する必要のない姿があるのだ。「じゃあ、お休みの日に一緒に買い物へ行ったりも――」 口にしかけて、私は筒木曜日の放課後、私は掲示板の前で、三歩下がっては一歩近づくという作業を繰り返していた。 放課後レターの利用案内は、貼ったときには読みやすいと思った場所にある。ところが、隣へ新しい委員会のお知らせが加わったら、肝心の確認時間が書かれた部分だけ、少し陰になってしまった。窓から入る光のせいなのか、上に張り出した紙のせいなのか、近くで見ているとかえって分からない。「あと少し、下げたほうがいいと思います」 私が言うと、怜央さんは案内の下端を押さえたまま、掲示板全体を見た。「下げすぎると、今度は荷物を持って立つ人に隠れる。左へ寄せるのは?」「それだと、園芸委員会の苗の写真に近づきすぎます。相談の案内より、トマトの育て方が気になりそう」「そこまで競合するか?」「写真がついてるものは強いんです。しかも、実が赤くておいしそう」 彼は苗の写真を一度見てから、納得したのか、案内をほんの少し右へ動かした。 私はまた三歩下がった。廊下を通る生徒をよけながら目を細めると、今度は文字がきれいに見えた。「そこがいいです。そのまま待ってください。画鋲を――」 ケースへ手を伸ばすより先に、彼の空いている手から画鋲が差し出された。 私は受け取って右下を留め、それから、もう一本もらおうと手のひらを上にした。今度も、言う前に載せられた。 二本目を押し込んだところで、ようやく気づいた。 今の、家で皿を片づけるときと同じだった。 次に私が何を欲しがるか分かっているように差し出されて、こちらも遠慮なく受け取る。便利だし、ありがたい。でも学校で、何のためらいもなくできてしまったことに、少し驚いた。「どうした? 曲がってるか?」「いえ、大丈夫です。助かりました」 妙に丁寧になった自分の声が、かえって不自然に聞こえた。 怜央さんが手を離し、私と並んで掲示を確かめた。紙の端が浮いていたので、彼が押さえ、私はケースの蓋を閉じる。そこまで済んだところで、背後から声をかけられた。「朝倉さん、最近、御影先輩とよく一緒にいるね」 振り返ると、同じ学年の女子が二人、鞄を肩に掛けて
「ええ。家同士の付き合いがあるから、小さいころから知っているの」 九条先輩は、歩く速さを変えずに答えた。 東側の廊下へ曲がると、開いた窓から風が入り、彼女の持つ紙の端がめくれた。先輩はそれを指で押さえながら、私の抱えている筒へ目を向ける。「昔の鞄の話なんて、急にしたから気になった?」「はい。よく覚えてるんだなと思って」「持ち物を長く使う人だから、覚える機会が多いのよ。買い替えても似たものを選ぶし。本人は違いがあると言うけれど、私には内側のポケットが一つ増えたくらいにしか見えなかったりして」 話しながら、九条先輩は少し笑った。 自慢するような調子ではなかった。よく知っている相手について、聞かれたから答えただけの声だった。 それなのに私は、その話の中にいる、小さな鞄を持った怜央さんを想像しようとしていた。今の彼の顔を幼くしてみても、うまくいかない。九条先輩には、想像する必要のない姿があるのだ。「じゃあ、お休みの日に一緒に買い物へ行ったりも――」 口にしかけて、私は筒を持ち直した。「……あ、ここの掲示板ですね。外すのは、上の二枚ですか?」 ひどい話題の変え方だった。 九条先輩は掲示板と手元の紙を見比べ、それから、私の顔へ目を戻した。「上の左と、その下の予告だけ。右はまだ使うわ。買い物の話は、続けなくていいの?」「すみません。何となく聞いただけなので」「そう。最近は、家の用事で顔を合わせることがあるくらいよ。休日の予定まで、いつも知っているわけではないから」 落ち着いた返事に、私は自分の耳が熱くなるのを感じた。 予定を知りたいのは、私のほうだった。 昨日、誰と出かけるのか聞けなかったことを、別の人との雑談に紛れ込ませようとしている。家族だから気になる、と言えば説明はつくのかもしれない。でも、母の買い物相手をこんなふうに確かめたことはない。 私は筒を壁際へ立てかけ、掲示物の端を押さえた。「こちらを持っているので、上の画鋲をお願いしてもいいですか」「ありがとう。抜いたのは、このケースへ
夕飯の片づけが終わるまで、私は冷蔵庫を開けなかった。 正確には、開ける用事を作らないようにした。麦茶はまだあるし、食べ終わったカレーを保存するのは母がやっている。今あの扉に手をかけたら、菓子の箱を見たいだけだと、誰にでも分かってしまう。 その努力は、怜央さんのひと言で無駄になった。「もう出してあるぞ。少し待ったほうがおいしいと、店で言われたから」 振り返ると、調理台に白い箱が置かれていた。「別に、急かしてないけど」「時計と冷蔵庫を交互に見てたから」「食後、何分くらい空ければいいか考えてたの。体の都合もあるでしょう」 彼は反論せずに箱を開けた。言い訳を追及するより早く中身を見せたほうが静かになると思われたのかもしれない。悔しいけれど、その判断は正しかった。 中には、小さなチョコレートのケーキが二つ入っていた。上の面は艶やかで、薄く削ったチョコレートが端に寄せて飾られている。もう一つの紙袋から出てきたのは、白い糖衣のかかったレモンの焼き菓子だった。「こっちも今日、食べる? 日持ちはするから、残してもいいけど」「食べる。両方食べるって、さっき言った」「そうだったな。念のため」 私は取り皿を出しかけたが、怜央さんに先に席へ座るよう言われた。今日は自分が用意する番だそうだ。 母と和臣さんは、それぞれお風呂や明日の仕事の準備へ移っていた。母には先に焼き菓子を少し分けてあって、「感想は聞かれたら言うわね」と約束してもらっている。おいしいかどうかを確かめる前に、材料と焼き方の話が始まるのを防ぐためだった。 テーブルに皿が置かれると、私はケーキの小さな金色の台紙をそっと回した。「これ、お母さんのお店とは逆のほうにある店だよね。駅から少し歩くところ」「ああ。前に通ったとき、見かけたから」「昨日、本屋の帰りに寄ったの?」「そのつもりだったけど、先に菓子を買うと持ち歩くことになるから、一度場所を確かめて、本屋のあとでもう一回行った」 何でもないことのように言って、彼はポットを持ち上げた。カップへ紅茶が注がれる間、私は店の紙袋に印刷された小さな地図を
放課後レターが再開した月曜日、私は二時間目の授業中に、ノートへ「受付」と書いてしまった。 先生が黒板に書いたのは、どう見ても英単語だった。私の手元だけが勝手に別の仕事を始めている。慌てて消しゴムをかけたら、消したい文字より先に、その下の罫線が薄くなった。 朝、予定どおり受付が開いたことは確認してある。次に管理画面を見るのは、放課後の担当時間だ。 分かっているのに、鞄の中のスマートフォンが妙に気になった。通知が鳴ったわけでもない。ただ、そこにあると思うだけで、確かめる理由が次々に浮かんでくる。 表示がおかしくなっていたらどうしよう。送信できない人がいたら。逆に、誰からも何も届いていなかったら。 どちらにしても落ち着かないのだから、確認したところで私の心配は終わらない気がした。 昼休み、美緒は私の弁当箱を見て、箸を止めた。「ひまり、その卵焼き、さっきからずっと持ち上げたり戻したりしてるけど、何か相談してるの?」「してない。ちょっと考え事してただけ」「じゃあ食べてあげて。私の見てる限り、三回くらい口の手前で引き返してる」 言われてようやく、箸の先に卵焼きを挟んだままだと気づいた。口へ入れると、いつもの甘さがした。朝、母が少し焦がした端を自分の分へよけていたのを思い出して、ようやく食べ物のことを考えられた。「今日からだもんね。気になるのは分かるけど、午後も授業あるよ」「分かってる。午前中も、ちゃんと聞いてたし」「それなら、英語の宿題、どこまで?」 私は箸を置いた。 美緒は責める顔もせず、自分の鞄から手帳を取り出した。該当のページを開いてこちらへ向ける手つきが、妙に慣れている。「助かるけど、今の質問、分かっててしたでしょう」「うん。自信たっぷりだったから、少し確かめたくなった」 私は宿題の範囲を書き写し、そのまま手帳を閉じた。スマートフォンを出す口実まで一緒にしまったつもりだったのに、美緒は私の手元を見て、小さく笑った。「終わったら、話せることだけ教えてね。相談の中身じゃなくて、ちゃんと帰れたとか、お腹が空いたとか」「それ、感想が全部
瀬名先輩は、練習用の相談文を自分の前へ置くと、わざわざ椅子に浅く座り直した。「では、友達の誘いを断れなくて困っている高校生です。週末は家で寝たいんですけど、誘われると行くって答えてしまいます。断ったあと、次から自分だけ呼ばれなくなったら嫌なので」「そこまで役に入らなくても、普通に読んでもらえれば大丈夫です」「朝倉さん、それを言うと、俺が楽しんでるだけみたいになるでしょう」 九条先輩が記録用の紙から顔を上げた。「楽しんでいるのは事実でしょうけれど、続けてください。相談者役が途中で傷つかないように、とは練習項目にありませんから」 瀬名先輩は胸に手を当てたものの、すぐ私たちの返信案へ戻った。ふざけているようで、読む目は真剣だった。 窓の外から、運動部の掛け声が聞こえる。私は新しい紙の上にペンを置き、自分が書いた返事をもう一度読んだ。 誘われてうれしい気持ちと、休みたい気持ちは、両方あってもおかしくない。友達を嫌いになったわけではないのだから、自分を責めなくていい。 そこまでは、今も消したくなかった。「朝倉さんのを読むと、ほっとするんだよね。俺が薄情だから面倒に感じるわけじゃないんだって。ただ、そのあと友達から『土曜どうする?』って来たら、やっぱり行くって返すと思う」「休んでもいいって書いたんですけど、それだけだと足りないですか」「休んでいいのは分かった。でも、断って気まずくなるのと、ちょっと無理して出かけるのを比べたら、後者を選んじゃいそう」 私は、相談文の『次から誘われなくなるのが怖い』という部分へ線を引いた。 その気持ちを受け止めたつもりだった。でも、受け止めたあと、同じ場所へ返してしまっているのかもしれない。 瀬名先輩は、今度は怜央さんの案を持ち上げた。「こっちは、何て返したらいいか書いてあるから助かる。『予定を確認してから返事をする』っていうのも、すぐ使えそう。でも俺、友達を待たせるだけでも落ち着かないんだよね。あとで断るくらいなら、今、行くって言っちゃおうかなってなる」「そこまで即答する必要はない、と伝えたいんだけど」「うん。頭では分かるんだけ
再開のお知らせを書き終えたとき、私はまず、画面の右側にある細い棒を見た。 文章が長くなるほど短くなる、スクロールのための表示である。最初は親指くらいの長さがあったのに、今は小指の爪ほどしかない。途中から、再開を知らせるために書いているのか、これまでの自分を反省するために書いているのか、よく分からなくなっていた。 それでも、書いたことは全部、必要に思えた。 受付を止めたことへのお詫び。待ってくれた人へのお礼。運営方法を見直した理由。以前と同じ形では再開できないこと。できることと、できないこと。読み終えた人が不安にならないように付け加えた説明が、読む人を疲れさせる量になっている。 私は椅子の上で膝をそろえ直し、約束していた共有先へ原稿を送った。 送信の表示を確かめた途端、直したい言い回しが見つかった。けれど、今さらにらんでいても、送った文章は変わらない。私は画面を閉じ、机の端に置いた水を飲んだ。 返信が来たのは、夕飯を食べ終えて、食器を流しへ運んでいるときだった。 向かいで皿を重ねていた怜央さんが、私のスマートフォンが震えたのを見て口を開く。「原稿の確認、送った。今、少し話してもいいか」「いいけど、もしかして長かった?」「少し」「その『少し』、何行くらい削るつもりで言ってる?」 彼は返事をする前に、手にしていた皿を置いた。 その慎重さが、すでに答えだった。 ダイニングへ戻ると、母がテレビの音量を少し下げた。私たちの前にはノートパソコンが一台あるだけだったのに、通りがかった和臣さんが「会議?」と尋ねたので、私は慌てて首を横に振った。「原稿をちょっと見るだけです。今日は、もう長くやらないので」「じゃあ、僕がお茶をいれる間くらいかな」 そう言って台所へ向かった和臣さんの背中を見送り、私は画面を開いた。怜央さんが椅子を隣へ寄せたので、思わず自分の肘を引く。 学校では机を挟んで話すことが多い。横に並ぶだけで、同じ文章を見る姿勢が妙に窮屈になった。「まず、最初の一文は、このままでいいと思う」 彼が指したのは、『お待たせしました』から始まる文